またまたやってまいりました、ゲームうんちく評論会。4回目となる今日はアーケード業界の移り変わりについて語っていきたいと思います。

現在のきらびやかなゲーセンやアミューズメントスポットが存在しなかった1980年初頭、スペースインベーダーという一つのゲームの誕生によりアーケード業界の歴史が始まった、と言っても過言ではありません。当時のゲーム機は、喫茶店、駄菓子屋、商店街やデパート等に設置され、その場所によって客層や1プレイ料金もまばらな時代でした。

その後、米国でも一大ブームを巻き起こしたパックマンを始めとして、アーケードゲームのタイトルが飛躍的に増えていきます。やがて、喫茶店や駄菓子屋などでは対応しきれないくらいタイトル数が増えてくると、ゲーム専門のお店、すなわちゲームセンター(以下ゲーセン)が街に登場してきます。しかしながら、当時のゲーセンの世間的な評価は最悪で、「不良の溜まり場」というレッテルを貼られてしまう様な状態でした。実際、私も幼稚園に入る前から近所の駄菓子屋に通い詰めていましたが、中学・高校生あたりの不良に金を巻き上げられたこともありました。

そんな1980年代も中頃になると、ゲーセンの増加と共にゲームタイトルも増え、レバーとボタンのついた普通のテーブル筐体から飛行機や車をモチーフにした大型筐体が登場してきます。この大型筐体の登場はアーケードゲームならではの画期的なもので、テーブル筐体にはない迫力を最大限に利用し、一躍ヒットを飛ばすこととなります。これは現在のアーケード業界を見てもかなりの影響を及ぼしたものと言えます。一方のテーブル筐体も、アクション一辺倒だったものからシューティング、パズル、麻雀、メダルゲームなど多岐に渡るジャンルが登場します。しかしこの頃から始まったゲーセンの台頭により駄菓子屋が徐々に姿を消していく事となります。

1980年代も終わりに近づいた頃になるとゲーセンの治安もだいぶ良くなってきて、徐々にではありますが、学生の溜まり場から現在のアミューズメントスポットの様な明るいイメージに変貌してきます。
(それでも現在に比べればまだまだ悪なイメージが強かったですが)

この頃のアーケードゲーム業界は、ファミコンという強大なコンシューマ機の影響で今一つ元気がないようなイメージがありました。それでもアーケードでしか味わえない迫力や美麗なグラフィックを武器に着実に飛躍をしてきます。特に強調すべきはプライズゲーム(UFOキャッチャーなどに代表される景品を取るゲーム)の登場とメダルゲームの本格化の二点で、東京・横浜など大きな街にメダルゲームを中心とした巨大なゲーセンが立ち並ぶ様になり、大きなスペースと高級感のある内装を施すことで、これまでのゲーセンとは違ったイメージの遊び場が登場してきます。これが現在のアミューズメントスポットの原型と言えます。

そして時代は1990年代へと移り変わっていきます。(以下次号)

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