「面白そうなゲームがあった!」
電話越しに知り合いが突如おっしゃる。
彼女は、小さいころは兄弟とゲームをしていたが、今はほとんどしていないという人だ。

珍しいなあと思って、「それは何と言うタイトル?」と聞くと、 自分の服を写真に取るだけで、持っている服の一覧を管理して教えてくれたり、 「今日はこの服が良い」などと、スタイリストみたいに提案してくれたりするゲームだと言う。
どうやらタイトルまでは分からないらしい。TVで見たのだそうだ。

さっそく検索してみると、『MyStylist』なるゲームに違いない。
近頃はやりのゲームらしくないゲームだ。
ハードはPSP。
ちなみにその知り合いはDSとPSPを見分けられない。
それでもやってみたいと思うんだから、本当に気になったのだろう。
(アパレル業界で働く人間だからかも)

さて、ユーザーは、ゲームらしかろうとなかろうと、やってみたいと思えば手に取る。
改めて考えると、まったく普通の行動だ。
そしてその行動が積み重なって市場を動かす。

すなわち、手に取られればそのゲームは評価され、生き残ったことになる。
あるいは、他のゲームは生き残れなかった、と言えるかもしれない。
市場は淘汰する。
ゲームに限らず、あらゆる商品を買うことは、そういうことだ。
投資に近い。
お金を使うこと自体、投資と言えるかもしれない。
(経済学は全く学んでいないが、しゃあしゃあと言っている)

その点でオタクと呼ばれる人たちは素晴らしい。
好きな商品は遠慮なくお金を払って買うように!

すでに乱暴な個人の意見になってきているが、さらに続ける。
ユーザーの消費を見ると、面白いゲームを求めていないのでは、と思えるのだ。
なぜなら、そういうゲームが思ったより売れないからだ。

過去の名作が売れているのも、そう思う一つの理由だ。
既知の面白いと分かっているゲームは売れるが、面白いかもしれないゲームは売れない。
すなわち、商品は、ごく一部の高品質が保証されたタイトルがあればいい。
現在は実用系ソフトもそこに含まれる。
それ以外は無料で遊びたい。
だいたいが、そういう消費傾向ではないだろうか。

TVで言うと、水戸黄門やNHKの実用番組、それと宮崎映画あたりだ。
バラエティがつまらなくなって、動画サイトが受け入れられた。
このあたりはゲームの現状と似ている。

一行で言えば、とても現実的で保守的である。

そして、それ以外のゲームは、マニアックであり、マイナーなのだ。
思えば、ファミコン時代やスーパーファミコン時代のゲームは、 最初こそ物珍しかったものの、基本的には随分とマニアックであった。
自分も含め、その時代を生きてきた人で今のゲーム業界をさびしく思っている人は多いが、 本来、マニアックなものはひっそりと楽しまれるものだから、これで正しい。

ただ、もう少しゲームらしい遊びを楽しんでも良いのにと思う。
頭を使うとすぐに疲れてしまう人が多い(そして、疲れるのを極端に嫌がる)。
面白くても疲れるとだめだ。
さらに、それを楽しむ時間もお金も持っていない人が多いのだろう。

長くなってきたのでそろそろ締める。

私個人としては、ゲーム業界を取り巻くこのような状況をあまり歓迎しない。

ではどうすればと考えたら、やはり、新しくて面白いゲームを作りたい。
そうでなければ、この業界に身をおいている意味がないからだ。
ユーザーが面白いゲームを求めなくなったとて、作り手が面白いと唸らせるゲームを作らないのが原因だ。
そしていつものことだが、「新しくて面白いゲームって何?」と言う問いかけが始まる。

余談かつ当り前だが、ゲームの売れ方も景気の影響は受けるだろう。
こないだ近所のお好み焼き屋のおじさんと話したら、バブル時代は二度と来ないよと言われた。
一度体験してみたかったのになあ。クソゲーが売れたりするんだろうね。

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