ゲーム中の救済について考えてみる



先日のE3で任天堂の宮本茂氏から新作「NewスーパーマリオWii」に「DemoPlay(仮称)」と呼ばれる新機能が搭載されると発表があった。この機能は難しくクリアできないステージを、コンピューターに代わりにプレイしてもらってクリアするというものらしい。ネット上では賛否両論盛り上がったようだ。様々な視点から議論があったようだが、ゲーム中における救済システムについて考えてみたい。

そもそもゲームというのは救済の宝庫であると思う。知らず知らずにみな使っているはずだ。

とあるRPG、戦闘中パーティーが全滅。次の画面では「しんでしまうとはなさけない」と所持金は半分になるがパーティは復活する。またほかのRPGでは、ゲームオーバーにはなるものの、セーブデータからやり直しができる。どちらも所持金が減ったり、プレイ経過が多少戻されるなどのペナルティがあるが、ゲームの続行という点においては問題がなく(基本的にはレベルを上げたりして再挑戦すればいい)大きな救済措置といっていいだろう。

アクションゲームやシューティングゲームではどうだろうか?1ミスでゲームオーバーにはなったりせず(昔はあったが・・・)残機制やライフ制などでミスは許容される。コンティニューもできるし、難易度選択もできるゲームも数多く存在する。それでもユーザー自身のプレイスキルの上達には限界があるかもしれないし、得手不得手もあるはずだ。たった1箇所がクリアできないことで先のステージが遊べないということは悲しいことかもしれない。

そのことに対する救済の回答の1つがこの「DemoPlay」というシステムだろう。自分でプレイしない部分が出てくるので、確かに上記救済とは違った意味の救済であるのは間違いない。しかし宮本氏が新しいマリオで導入するから話題先行になっただけで、よくよく考えると日常的な事をちょっと拡張しただけではないだろうか?

これはゲームに限る話ではないのだが、どうしても行き詰まったとき、身近な人に助け船を依頼することはよくあるだろう。両親でも兄弟でも恋人でも友達でもいい。しかしその中にゲームが上手い人がいるとは限らないし、生活スタイルの違いなどで助けを得られるとは限らない。

自転車がパンクしたとかいう話なら、身近で直せる人が見つからなければ自転車屋で修理してもらえばいい。ところがゲームではお手上げだ。

そこで「DemoPlay」の存在価値が出てくるのだろう。コンピューターが代わりにプレイと言うと機械的だが、きっとMiiのキャラクターが代わりにプレイする映像をまじえてみたり、他の人のMiiに関連付いているプレイ情報からプレイデータを再現したりと、そこは任天堂のことだから絶妙な表現方法を使ってくるであろう。

最後に宮本氏の言葉の裏には実はこんな意図が含まれているのではと勝手に推測してみる。
「今回のマリオはDemoPlayは搭載するけど、それを使わなくても初心者から上級者まで満足して全てクリアできる絶妙なバランスに仕上がってますよ!」




ちびまる